『ルリボシカミキリの青』

ルリボシカミキリの青

ルリボシカミキリの青

本書を読み進めていると何歳か若返った気分になる。人気科学者である著者が生命のセンス・オブ・ワンダーを次々と紹介し、読んでいるとなんだかワクワクするのだ。エピローグはこんな感じ。科学エッセイなのにまるで小説のよう。

あこがれたのはルリボシカミキリだった。小さなカミキリムシ。でもめったに採集できない。その青色は、どんな絵の具をもってしても描けないくらいあざやかで深く青い。こんな青は、フェルメールだって出すことができない。その青の上に散る斑点は真っ黒。高名な書家が、筆につややかな漆を含ませて一気に打ったような二列三段の見事な丸い点。大きく張り出した優美な触角にまで青色と黒色の互い違いの模様が並ぶ。私は息を殺してずっとその青を見つづけた。


本書は人気科学者のエッセイ集。今般文庫版となり、持ち運びが便利になった。エッセイ集なので扱うテーマは昆虫・狂牛病・料理・遺伝子・小説『1Q84』など多岐に亘っているが、軸となるのは生物学の神秘だ。敵であるスズメバチを蒸し殺すことができるミツバチの発熱作用を紹介したり、蝶がさなぎから生まれでる羽化の瞬間を描写したりする。読みながら思わず感嘆の吐息を漏らしてしまった。

そして大概のテーマが辿り着く先は、著者が提唱する生命の動的平衡の原理。一見、難しそうな原理だが、読者の理解レベルに合わせて解説している(それも、科学者らしくない?リズミカルな文章で)。例えば、小学6年生相手には、自分が出したCO2の行方を想像してもらう。吐き出したCO2が植物に吸収され、その植物が虫に食べられ、その虫はさらに他の動物に食べられ、最後は人間にまた戻ってくるという動的平衡を想像してもらうのだ。食物連鎖を通して、生物界が動きながら絶妙なバランスを保っているという生命の本質を伝えている。現代科学にありがちな事象の細分化・カテゴリー化によって物事を本質を探ろうという手法とは一線を画くしている。

著者の本業の研究も紹介する。ベストセラー『生物と無生物のあいだ』刊行時にはまだ解明されていなかったGP2遺伝子に関する記述もある。消化管にたくさん存在するGP2タンパク質は、長い間その機能が謎に包まれていたが、著者のノックアウトマウス実験によってその役割が判明した。GP2は消化管に入ってくるバイ菌を捕まえる大事な役割を担っていたのである。この発見は病原性ウイルスの予防やアレルギー症状の軽減などに貢献するかもしれず、画期的な発見として科学誌の権威『ネイチャー』に掲載された。そんな大発見の裏では、実はほぼ諦めかけていた著者に光明が差す過程があったことなど、科学界の裏話も紹介されているのだ。

本書は『週刊文春』に掲載されていた著者のコラムがベースとなっているので、基本的には大人を対象に科学の楽しさを伝えている。しかし、本書を読めば読む程、著者が本当に伝えたい先は、読者を介した子どもたちに思えてならない。著者も最後に告白しているが、本書の隠れテーマは科学好きを増やすための教育論なのだ。

きっと本書を読んだ読者は、著者が紹介する科学の楽しさを一人で溜め込むことができないだろう。どうしても誰かと共有したくなるはずだ。そんな時、伝える相手として最適なのは子どもたち。彼らはすねた大人と違い、きっと耳が痛くなるほどの感嘆の声をあげてくれるだろう。そして次に著者の言葉を借りて、こう伝えるのである。

調べる。行ってみる。確かめる。また調べる。可能性を考える。実験してみる。失われてしまったものに思いを馳せる。耳をすませる。目を凝らす。風に吹かれる。そのひとつひとつが、君に世界の記述のしかたを教える。