『古代ローマ帝国 1万5000キロの旅』

古代ローマ帝国1万5000キロの旅

古代ローマ帝国1万5000キロの旅

旅行好きにはたまらない本だ。本書を通して南北はスコットランドからエジプトまで、東西はポルトガルからアルメニアまでの広大な土地を旅した気分になれる。それも時代は今から遡ること2000年、古代ローマ帝国時代である。

ああ、こういう本に巡りあえるから読書はやめられない。読了後は数ヶ月に亘る世界旅行をして帰ってきたような気分なのに掛かった費用は書籍代たった3,200円である。だいたい本書は書棚に飾っておくだけで格好いい。赤い背表紙に『古代ローマ帝国 1万5000キロの旅』というタイトル、そしてトラヤヌス帝時代のセステルティウス貨(金色の青銅貨)が描かれいる。松岡正剛千夜一夜を飾っているように書棚が栄えるのだ。

しかも、調べてみると原書はイタリア語であり、まだ英訳出版されてないようだ。英訳が出る前に日本語訳が読めるとは、日本人で良かったと思う瞬間である。翻訳家の関口英子・佐藤奈保美両氏と河出書房新社に感謝せずにはいられない。

つい興奮しすぎて何の本なのか紹介してなかった。本書は一枚の硬貨と共に広大なローマ帝国領土を旅する架空旅日記である。本書の主人公であるセステルティウス貨は現代の価値にすると2ユーロ程度であり、商人、役人、兵士、歌手、奴隷、物乞い、娼婦など、多種多様な人たちの手に渡りながらローマ帝国内を移動していく。読者はこの硬貨を追うことでローマ帝国内各都市の雰囲気、人々の暮らしぶり、娯楽や恋愛など、実際にその地を訪れたような疑似体験ができるのである。

ローマの大競技場(キルクス・マクシムス)へと向かう何万もの群衆のにおいや、ミラノの街路を散策する貴族女性が身にまとっている芳香を嗅ぎ、アテネの工房では石工の槌音を聞き、ゲルマニアでは行進するローマ軍団の色鮮やかな盾に目を奪われ、また最北のスコットランドでは変族たちのボディーペインティングを観察する…といった具合だ。しかも、著者はイタリア国営放送で科学番組のキャスターを長年勤めてきた人だけに、実際にテレビカメラを持ちこんで番組を作ったかのような臨場感にあふれている。

本書の強みは、通常の歴史書とは違い、当時の一般の人々の営みを通して、古代ローマ帝国がいかに領土を拡大し、他民族を纏めあげていったかを説明している点である。

当時、ローマ帝国の一部になれば、帝国内の住民は「基本的な」娯楽と生活必需品は安く手に入れることができた。帝都ローマならばパンは無料で配布されたし、ワインを飲むのも戦車競争や演劇などの見世物を観るのも、公共浴場に入るのも、そしてセックスするのも非常に安上がりになったのだ(ちなみに当時の売春料を現代価値に換算すると1ユーロであり、安いワイン一杯分の値段とほぼ同じだったそうだ)。古代ローマ帝国が領土を拡大し、様々な人種の人々を統治できた要因として、よくローマ皇帝のリーダーシップやローマ軍団の強さなどが挙げられるが、ローマ式生活様式の優位性こそが人々を惹きつけたのだと本書を読むとよく理解できる。

その他、本書を読み進めていくうちに気付くのは古代ローマ社会と現代社会の類似性である。例えば、行き過ぎた森林伐採による環境破壊、離婚の増加や出生率の低下、裁判数の増加など、まるで現代社会をみているようである。ナンパやキスの仕方といった帝国内各地の恋愛事情も現代と変わらずで面白い。

前作『古代ローマ人の24時間』と同様、著者の凄いところは、その細部にこだわった描写である。もちろん架空のルポタージュではあるが、長年にわたる地道な資料収集の賜物であり、脱帽ものだ。