『新・ローマ帝国衰亡史』

新・ローマ帝国衰亡史 (岩波新書)

新・ローマ帝国衰亡史 (岩波新書)

仮説力を磨きたい人にはおススメの本。

いわゆる一流の人間とは、真理に近い仮説を立て、それをいち早く検証・実践した人間と言われている。確かにこのことは学問・政治・ビジネスなどあらゆる分野において普遍的であり、仮説力ある人が世の中をリードしていると言っても過言ではない、と言うと少し言い過ぎか。いずれにせよ、一朝一夕に仮説力を磨くのは難しく、よほどの才能がない限り、独学で徐々に学んでいくしかないのが現実である。

仮説力を磨くのにおススメするのは読書を通して仮説力ある人物の仮説・検証プロセスをフォローしてみること。HONZ代表である成毛眞のオールタイムベスト10で紹介されている本は、仮説力を鍛えてくれる良書が多く一番のおススメリストであるが、本書も京都大学教授が変わった仮説をたてている本でおススメだ。

特に本書を通して学べるのは、新しい仮説の立て方。物事を少し変わった視点から考察することで定説を覆すような新たな仮説をつくる、著者が本書を通して実践していることである。ローマ帝国の衰亡史という歴史研究として確立されている分野に於いて、イタリアやローマ市といった帝国の「中核」地域から論じるのではなく、これまであまり注視されていなかった辺境地に光をあてることで、新たなローマ帝国衰亡論(新仮説)を導き出しているのだ。

いわゆるローマ帝国衰亡史の定説とは、4世紀末のゲルマン民族の大移動という蛮族侵入が衰退しているローマ帝国に止めを刺したというもの。しかし本書は、衰亡の根本的な原因は、差別と排除の論理に基づく偏狭な保守イデオロギーの台頭であるとし、ローマ帝国は外敵の出現による崩壊ではなく、内的要因によって自壊したと新仮説をたてているのだ。

あまり内容を書きすぎるとネタバレになってしまうので、ここでは著者自身が岩波書店のホームページで語っている本書のユニークさを引用するに留めておく。

帝国が衰亡していく過程はロマンを誘うのか、18世紀に書かれたエドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』が好んで読まれています。今回私は、ギボンが大著を費やした同じテーマを、新書1冊で書いてみました。我ながら大胆なことです。執筆にあたっては、学界の最新の成果を取り込み、また「ローマ帝国とは何か」ということについて私の独自の解釈に拠ったので、ギボンの衰亡史とはすっかり異なるものになりました。たとえば、ローマは地中海ではなく「大河と森」の帝国であった、最盛期のローマ帝国には「国境線」はなかった、古代に「ゲルマン人」はいなかった、あの巨大な帝国はわずか30年で崩壊したなどと聞くと、驚かれる方もあるのではないでしょうか。

著者が定説とは違った視点を持てたのは、イタリアや地中海にて起こる事象だけでなく、辺境地であるブリテン島(現在の英国)、ガリア地域(現在のフランス・ドイツなど)での事象も研究したからこそのようだ。一旦、主流からはずれ、新しい視点から物事の本質を捉える、ぜひビジネスの分野でも実践してみたい方法である。

本書の最大のウリは、栄えていた国が滅びるとはどういうことか、といういかにも岩波新書らしい壮大なテーマに挑んでいることであるが、本書をただの教養書で終わらせてしまうのはもったいない。読者には、教養書としての本書を楽しみつつ、併せて、一流の学者はこうやって新しい仮説をたてるのかーと感心しながら240ページを一気に読み切ってもらいたい。

『そのとき、本が生まれた』

そのとき、本が生まれた

そのとき、本が生まれた

アルド・マヌーツィオ。出版界が生んだ天才で、革命家、そして本の歴史を変えた男である。彼の存在なくして、出版界は今日ほど大きな発展を遂げることはなかっただろう。

いつも鞄に本を一冊忍ばせている人は多いはず。私もそんな一人で、電車やトイレの中など少しでも時間が出来れば、鞄から文庫本を取り出す。私にとってはとても日常的な動作であるが、こんなことができるのも500年前に手軽に持ち運びできる文庫本を考案したアルド・マヌーツィオのおかげである。それまでは机や書見台に置いて広げるしかなかった重い本を小型化することに成功し、読書のあり方を変えた人物がこのマヌーツィオである。

それだけではない。紙面スペースを節約するために考案されたイタリック体の生みの親はマヌーツィオ。ピリオドとコンマを使い始めたのもマヌーツィオ。最初にベストセラーを出版したのもマヌーツィオである。そんな彼の数ある功績のなかでも最大の功績は、なんと言っても、本を娯楽の対象としたことであろう。それまで本といえば主に祈禱など宗教上の道具として用いられていたが、そんな時代に彼は『イソップ物語』や官能表現満載の『ポリフィルス狂恋夢』など、当時の人々が余暇に楽しめる本を出版したのである。今日の読書の楽しみを生み出してくれたのがマヌーツィオ。まさに神さま、仏さま、マヌーツィオさまである。

そんな天才マヌーツィオを生み出したのが、「海の都」ヴェネツィアヴェネツィアといえば、その昔は「貿易国家」、そして現在は「観光都市」というイメージが強いが、16世紀前半頃からしばらくは「本の都」としてヨーロッパ内にて絶対的な地位を築いていた。当時ヨーロッパにて出版された本の約半数が印刷されていたのが、ヴェネツィアなのである。

豊富な資本、商業ネットワーク、そして言論の自由。この三要素を満たすヴェネツィアは「本の都」として発展していき、数々の伝説を生み出していく。例えば500年ものあいだ行方不明となっていたアラビア語で印刷されたコーラン。その存在すら疑われていた本であるが、近年ヴェネツィアにて出版されていた事実が判明している。さらに世界初のラビ聖書とユダヤ教典、世界初のギリシャ語やアルメニア語の書籍、楽譜、地図、料理本、と宗教も言語も分野も超えた、あるゆる種類の本が、ここヴェネツィアで生まれてのである。まさに現代書籍文化の礎を築いた都市である。

本書が紹介するのは、書籍文化及び出版業界の起源ヴェネツィアの繁栄と衰退の歴史。本好きにとっては外せない一冊である。それだけでない。電子書籍が台頭する現代や出版業界が苦しむ現代において、16世紀のヴェネツィアで起きた本の革命から学ぶことはたくさんある。どのようにして当時の革命的な形態であった文庫本が世の中に流通したのか、また「本の都」ヴェネツィアはなぜ衰退していったのか、現代の電子書籍革命や日本の出版業界の現状と照らし合わせて読むと、より一層本書を読む楽しみが増えるだろう。

『古代道路の謎』

1995年、東京都国分寺市で長さ340mの幅12mの道路が発掘された。造られた時代は約1,300年前の飛鳥時代。そして驚くべきことに、この巨大道路は寸分の狂いもなく一直線に造られているのである。

その後の調査の結果、現在では、1300年前の7世紀ごろに日本中を張り巡らす巨大道路網が建設されていたことが判明している。東北から九州までの長さ約6,300mもの距離を幅広最大30mというまさに巨大道路だ。

田中角栄議員立法により実行された1966年の高速道路計画は6,500mであるから、それと同じ規模の距離をより幅広で建設していたことになる。いったい誰がいつ何のためにそんな巨大プロジェクトを遂行したのか。驚くべきことに、これほど巨大プロジェクトにも関わらず、実はこの国家的規模の大規模事業がなされた理由はまだ正確に分かっていない。文献史料には何も記されていないのである。本書はそんな「謎の巨大国家プロジェクト」に、文化庁文化財調査官が迫る一冊である。

著者は「この古代道路建設天武天皇による列島改造であった」と表現する。律令国家という新しい国づくりのための象徴的なインフラ事業であったと考えているのである。大化の改新以降、中大兄皇子天智天皇)が目指したのは天皇を中心とした中央集権国家であり、律令国家建設のために必要な政策が実行されていった。その後、天智天皇を継承した天武天皇が、国家の巨大さを感じさせるために、どこまでも続くまっすぐで幅広の道路を建設したと考えられているのだ。

巨大プロジェクトに思いを馳せながら本書を読んでいると何だかタイムスリップした気分になれる。第六章ではまさしく想像を交えながら備中国(現在の岡山県)からの景観を再現させている。まっすぐに走る古道、それを基準に広がる街や条理地割り。古代の人々が新国家の力によって創出された新たな光景に圧倒されている様子が目に浮かぶ。

そんな立派な道路であったが、結局は廃絶してしまった。筆者によると、国家が道路の維持管理の責任を地方に押し付けたことが主な原因だったようである。例え立派な道路であっても、日々の業務では使わない道路を維持管理するのは地方官にとっては苦痛だったのだろう。地方分権が進む11世紀頃にはこの巨大道路は姿を消したようである。公共事業に関する国と地方の関係は現在特有の問題ではなく、1300年前にもあったことがよく分かる。同じ過ちを繰り返さないように過去を知ることは大切である。

本書では紹介がないが、古代道路は世界中で発掘されている。古代ローマ、秦の始皇帝インカ帝国などが典型例である。総距離290,000kmに及ぶローマ街道や、幅広140mの御道、標高5000メートルのアンデス山脈に沿って整備されたインカ道などと比較しながら本書を読むと、古代日本の政治が何を目指していたのか、なぜローマ街道は現代まで残り、日本の古代道路は廃絶してしまったのかがより良く分かるだろう。

本書は最後に古代道路の見つけ方を解説する。史料と地図と航空写真を使えば、誰でも古代道路を見つけることが出来る。本書を読めば誰でも「謎の巨大国家プロジェクト」の研究者になれるのだ。さー、暖かくなってきたし、週末は地図を持って探検に行こう!

『海はどうしてできたのか』

海はどうしてできたのか (ブルーバックス)

海はどうしてできたのか (ブルーバックス)

本書によると、将来地球上から海が消え、人類が絶滅してしまう可能性があるそうだ。

地球の内部では、ウラン・トリウム・カリウムなどの放射性元素が崩壊を繰り返し、熱を放出し続けている。それによって地球は内部から温められ、地球が凍りつかない仕組みになっているのだ。しかし、地球誕生からおよそ約46億年経った今、地球内部にあるウランの量は半減しており地球を暖める熱源は徐々に低下している。

地球が冷えていくと何が起こるのか。海溝から地球の内部へと沈み込むプレートに含まれる大量の水を地表に押し返すマントルの力が弱まり、海水がどんどんと地下へと引きずり込まれていくという。この悪循環が続けば、やがてはすべての海水が地下深くに没してしまい、地球から水が消滅すると予想されているのである。

水がなくなると地表は徐々に砂漠化し植物が死滅する。この結果、光合成による酸素の供給が途絶え、地球は二酸化炭素の多い火星のようになってしまい、人類が住める星ではなくなってしまうという。なんとも恐ろしい顛末である。もっとも、本書によると今から10億年後の話なので、よほど長生きしない限り心配しなくて良さそうではあるが。

海の消滅による人類滅亡シナリオをつきつけられて初めて海のありがたさを身に染みて理解できる、というのは大げさだが、海が地球に与える影響の大きさを理解できる一例である。本書は、そんな地球にとってかけがえない海が、いつどのようにして誕生し、現在の姿になるまでにどのような過程を経てきたかという大スペクタクルを解説する。中でも、節目節目に発生する「海の大事件」紹介がたまらなく面白い。

紹介されている事件の中で一番興味深いのは、ペルム紀末(約2億5220万年前)の海で起こった「海洋無酸素事件」。この時期、海洋の酸素がきわめて乏しくなったという。実はこれがたまたま地上側で起きていた地球史最大の大量絶滅が起こった時期と重なっているのである。「海洋無酸素事件」の原因はまだ判明していないが、地球温暖化によって今話題のメタンハイドレードからメタンが大量に溶けだし、酸素と結びついて酸素濃度が下がったとする説が有力だ。もしそうだとすれば、メタンは大気中にも放出されるはずで、同じ仕組みで大気中の酸素濃度を下げて地表で生息する生物に影響を与えていた可能性がある。海洋無酸素事件と地球史最大規模の大量絶滅の因果関係はまだ立証されていないが、海底で起きた現象が生物にも大きな影響を与えたと考えると面白い事件である。

600万〜500万年前のメッシーナ紀に地中海が干上がってしまう事件も紹介する。この頃、寒冷化の影響で海面が下がり、地中海の出口であるジブラルタル海峡ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を隔てる海峡)が閉ざされてしまっていた。大西洋からの水が流入しなくなった地中海は湖のようになってしまい、蒸発が起こって干上がってしまったというものである。その後、海面がもとの水準に回復したとき、ジブラルタル海峡ボスポラス海峡(地中海と黒海を隔てる海峡)を経て大量の海水が一気にかつ大量に地中海・黒海に入り込んだのがノアの洪水という説があり、これまた面白い事件である。

普通、こういった骨太の内容は分厚い本になりがちだが、本書はブルーバックス新書として200ページ以下にまとまっている。お値段も820円と格安。ここ最近で一番のコストパフォーマンスであり、買って損のない一冊である。

『新幹線をつくる』

新幹線をつくる (メディアファクトリー新書)

新幹線をつくる (メディアファクトリー新書)

正確性、安全性、快適さ、速さ、そして美しさ。日本のモノ作りが大切にするコンセプトである。そんなコンセプトを一つの乗り物というカタチにしたとき、世界に誇る日本の新幹線が出来上がる。正確無比に、安全に、故障することなく、しかも驚くべき速さで走り続けている新幹線。まさしく、わが国が世界に誇るべき「メイド・イン・ジャパン」の技術力の結集である。本書はそんな「メイド・イン・ジャパン」の誉れである新幹線をつくる男たちに焦点をあてる。

著者が紹介するのは、東海道新幹線の新型車両N700Aを製造しているJR東海と日本車輛製造の技術者・技能者たち。東海道新幹線といえば、東京ー大阪間を最速時速270kmで走り抜け、年間平均遅延時間たった36秒、47年間という無事故記録を更新中である日本の代表的な新幹線である。そんな日本が世界に誇る「メイド・イン・ジャパン」車両を製造するのはどんな人たちなのか、本書は、普段なかなか日の目を見ない日本の技術者たちの「こだわり」をあぶりだしていく。

例えばN700系新幹線内の空調機器日本車輌製造の内装設計技術者の大石和克氏がこだわったのは客室内の温度の均一性だ。客室内で空気がどのように対流するか「流体解析」というハイテク技法を用いてシミュレーション検証実験を重ねる。シミュレーション実験の末に行き着いたのが、吹き出し口から吹き出す空気の角度や風が壁にぶつかる角度などへのこだわりである。わざわざそこにこだわらなくても、とつい思ってしまうが、この大石氏のこだわりのおかげで、私たち乗客は1Aの席でも、10Cの席でも、あるいは20Eの席どこに座っても空調に違和感を感じないのである。

もちろん技術者・技能者が駆使するのはハイテク技術だけでない。世界一精巧な職人技も駆使する。日本車輌製造溶接技能者鈴木健男氏がこだわるのは部材の完璧な組み合わせ。新幹線の先頭車両の車体はその複雑な構造から数千個ものパーツを繋ぎあわせて成り立っているが、これらを繋ぎあわせているのは技能者たちの手作業である。普通、パーツのつなぎ目では、面と面が微妙に重なりあったりズレたりと僅かな誤差が生じていくものだが、彼らの手にかかれば何千ものパーツがほとんど誤差を発生せずに溶接されていく。巨大で美しい流線型の車体は、驚異的な職人技によって実現されていたのだ。

その他、シール貼りの名人や台車組立のエキスパートなど、新幹線製造に関わる技術者・技能者約15名が紹介されている。それぞれに「こだわり」のストーリーがあり、これら「こだわり」を知っているのと知っていないのでは新幹線の乗り方が変わってくること間違いない。

最後になるが、本書を手に取った読者にオススメするのは彼ら技術者・技能者の顔写真をパラ見すること。著者が「はじめに」で紹介する通り、一見どこにでもいそうな普通のおじさんなのだが、実際は世界最高レベルの技術者ばかりである。なんだか日本のモノ作りを支えるおじさんたちのイキイキとした顔写真を眺めているだけで、書籍代800円のもとはとった気分になれる。

『古代ローマ帝国 1万5000キロの旅』

古代ローマ帝国1万5000キロの旅

古代ローマ帝国1万5000キロの旅

旅行好きにはたまらない本だ。本書を通して南北はスコットランドからエジプトまで、東西はポルトガルからアルメニアまでの広大な土地を旅した気分になれる。それも時代は今から遡ること2000年、古代ローマ帝国時代である。

ああ、こういう本に巡りあえるから読書はやめられない。読了後は数ヶ月に亘る世界旅行をして帰ってきたような気分なのに掛かった費用は書籍代たった3,200円である。だいたい本書は書棚に飾っておくだけで格好いい。赤い背表紙に『古代ローマ帝国 1万5000キロの旅』というタイトル、そしてトラヤヌス帝時代のセステルティウス貨(金色の青銅貨)が描かれいる。松岡正剛千夜一夜を飾っているように書棚が栄えるのだ。

しかも、調べてみると原書はイタリア語であり、まだ英訳出版されてないようだ。英訳が出る前に日本語訳が読めるとは、日本人で良かったと思う瞬間である。翻訳家の関口英子・佐藤奈保美両氏と河出書房新社に感謝せずにはいられない。

つい興奮しすぎて何の本なのか紹介してなかった。本書は一枚の硬貨と共に広大なローマ帝国領土を旅する架空旅日記である。本書の主人公であるセステルティウス貨は現代の価値にすると2ユーロ程度であり、商人、役人、兵士、歌手、奴隷、物乞い、娼婦など、多種多様な人たちの手に渡りながらローマ帝国内を移動していく。読者はこの硬貨を追うことでローマ帝国内各都市の雰囲気、人々の暮らしぶり、娯楽や恋愛など、実際にその地を訪れたような疑似体験ができるのである。

ローマの大競技場(キルクス・マクシムス)へと向かう何万もの群衆のにおいや、ミラノの街路を散策する貴族女性が身にまとっている芳香を嗅ぎ、アテネの工房では石工の槌音を聞き、ゲルマニアでは行進するローマ軍団の色鮮やかな盾に目を奪われ、また最北のスコットランドでは変族たちのボディーペインティングを観察する…といった具合だ。しかも、著者はイタリア国営放送で科学番組のキャスターを長年勤めてきた人だけに、実際にテレビカメラを持ちこんで番組を作ったかのような臨場感にあふれている。

本書の強みは、通常の歴史書とは違い、当時の一般の人々の営みを通して、古代ローマ帝国がいかに領土を拡大し、他民族を纏めあげていったかを説明している点である。

当時、ローマ帝国の一部になれば、帝国内の住民は「基本的な」娯楽と生活必需品は安く手に入れることができた。帝都ローマならばパンは無料で配布されたし、ワインを飲むのも戦車競争や演劇などの見世物を観るのも、公共浴場に入るのも、そしてセックスするのも非常に安上がりになったのだ(ちなみに当時の売春料を現代価値に換算すると1ユーロであり、安いワイン一杯分の値段とほぼ同じだったそうだ)。古代ローマ帝国が領土を拡大し、様々な人種の人々を統治できた要因として、よくローマ皇帝のリーダーシップやローマ軍団の強さなどが挙げられるが、ローマ式生活様式の優位性こそが人々を惹きつけたのだと本書を読むとよく理解できる。

その他、本書を読み進めていくうちに気付くのは古代ローマ社会と現代社会の類似性である。例えば、行き過ぎた森林伐採による環境破壊、離婚の増加や出生率の低下、裁判数の増加など、まるで現代社会をみているようである。ナンパやキスの仕方といった帝国内各地の恋愛事情も現代と変わらずで面白い。

前作『古代ローマ人の24時間』と同様、著者の凄いところは、その細部にこだわった描写である。もちろん架空のルポタージュではあるが、長年にわたる地道な資料収集の賜物であり、脱帽ものだ。

『勇気ある決断』

勇気ある決断―アメリカをつくったインフラ物語

勇気ある決断―アメリカをつくったインフラ物語

フェリックス・ロハティン。投資銀行家で、1970年代後半のニューヨーク市財政破綻の危機を救ったことで有名な人物である。幼少時にナチスから逃れてアメリカに移民、その後、ウォールストリートの投資銀行家としての名声を勝ち取り、ニューヨーク市の財政援助公社総裁としてニューヨークを財政危機から救い出した。後々、幼少時に住んでいたフランスで米国大使を務め、故郷に錦を飾るというユダヤ人のサクセスストーリーそのもののを歩んできた人物である。現在も投資銀行家として健在で、2008年にはリーマンブラザーズの社長兼会長のアドバイザーを務めており、評価の分かれるなかなか興味深い人物である。

そんな人物が上梓したのが本書。建国以来アメリカ経済を発展させてきた10件のインフラ事業を取り上げ、時の大統領を中心とするリーダー達の大胆な決断に迫っている。国内外の反対勢力と対峙し、叡智と忍耐力で説得していき、胃に穴があくような思いをしながらも最終的にはインフラ事業を実現させていくストーリーは読んでいて楽しい。

例えば1803年末にトマス・ジェファソン大統領が成し遂げたルイジアナ買収。その頃、ニューオーリンズ港やルイジアナ領土はヨーロッパ諸国の権力闘争の狭間であり、1800年のスペイン−フランス間合意により、ルイジアナはフランス領となる予定であった。当事、フランス民間武装船による襲撃に頭を悩ませていたアメリカは、自国の生産物の輸出ルートであるニューオーリンズ港がフランスに支配されることを防ぐため、1801年に交渉団をパリに派遣し、ニューオーリンズ買収を試みる。

交渉は全く進展せず時間だけが刻々と過ぎていくが、1803年、英国との戦争を控えていたフランスは軍資金確保のためにニューオーリンズだけでなく全ルイジアナ領土をアメリカに売却する用意あることを交渉団に伝える。これを好機と捉えたアメリカ政府は即座に価格を合意するも、合意価格は当事国家収入の1.5倍と超高額であり、事前にアメリカ議会から承認された額を大幅に上回っていた。

当然、議会からは猛反発を受けるも、時の大統領トマス・ジェファソンはニューオーリンズ港の重要性と広大な土地の取得は後世の発展に寄与するとして議会を説得し、かつ、巨額の資金調達を無事成功させ、フランスとの取引を実現させている。国土を2倍にするような取引を議会の承認なしで合意するという大胆で革新的な投資であり、ヴィジョンと信念がなければできない勇気ある決断である。

本書は他にも、エリー運河パナマ運河建設、大陸横断鉄道や州間高速道路の完備など、どれも巨額の資金が伴う事業の決断をしていくリーダーの姿を紹介しており、読者を飽きさせない。著者としては、これらエピソードを通じて政府による公共投資の重要性を読者に認識してもらうことが本当の狙いのようだが、それよりも、大胆な投資を決断するリーダーが何に悩み、どう困難を克服していったかという視点で本書を読むと、より読書を楽しめるはずである。